ただゼミがたのしいってだけの話

ゼミが楽しすぎる。

よく、「議論って、参加しないと意味が無い」みたいなこと言うけど、

自分は鋭いタイプじゃないので、あんま発言しないし、リスナー的な態度でゼミ出てることが多い。それでも火曜3限の幸福度高すぎる。笑

 

哲学のゼミ入って良かったこと

・前より本が読めるようになった

哲学の本の中に出てくる単語って、それ自体が難しい。一個でも読み飛ばすと、文章全体が分からなくなる。笑  ゼミに入る前、自分は完全な「読み飛ばし人間」だった。「わかんない!まぁ読んでけばそのうち意味分かるでしょ」みたいな。

けど、それが全く通用しない世界に入って(みんなで現象学読んでたとき)、分からない単語の意味調べる習慣ができた。前よりは、ちょっと骨のある文章を読むための基礎体力がついた、

うれしいうれしい

 

・なんか生きやすくなる

ゼミでは、「よい、わるい」とかの価値判断について学んでみたり、過去から現在への主体性の変容について勉強してきた(雑)。

 

中島ゼミは、自称・哲学ゼミだけれど、題材は社会問題。実際、哲学やなくて社会学やってるんだと思う。

 

社会学を哲学っていう枠で考えてみると、

大きな歴史の流れの中で人間生きてるなーって実感したし、

みんな色々考えてるように見えて、生きてる時代に「考えさせられてる」だけなんだなって再確認した。

最近、とある先生が授業中言ってた言葉

「もし自分の意見が社会の中でマイノリティだったとしても、折れる必要はないですよ。今日の少数者の意見は、明日の多数派の意見ですからね」

にめっちゃ共感したのだけれど、

自分の意志は、人に迷惑をかけない限り、自分で責任を負う覚悟がある限り、貫くべきなんだなーと思った。

 

自分のこと、何らかのマイノリティだと思ってる現代人って多いんじゃないかなぁ。

そんな人たちがうじゃうじゃいて、逆にマジョリティになってる。

 

ってことは、何を言っても、どう生きても、ある一定数のひとたちには叩かれるし、裏を返せば共感してくれる人も絶対にいる。

 

みたいなことをゼミやってる中で考えて、すごい楽になりました。

いいね!って

・♡

・可愛い!素敵!

・マネしたい!

・自分が持ってないものへの嫉妬

・本当に気になる人へは気軽に押せない

・「あなたの投稿見ました」の印

・正直そんなにいいねと思ってない

・「あーその場所流行ってるよねさっきも見た」

・「さっき私の投稿にいいねしてくれてありがとう、お返し」

・共感する〜〜病

・めんどくさい対立を避けるためのボタン

・超いいね!いいね!まぁまぁいいね!どうせいいね押してもらいたいんでしょ!も全部同じ「いいね!」にしてしまう

・だから広がりやすい、なんとなく良いと錯覚させるのって簡単

・感情の均質化

・なんかリアルの世界でも気がついたら「いいね!」が口癖になってて気持ち悪い

 

会話の中で出て来たことを箇条書きにしただけ

これ全部自分の意見なわけではない

また書き足すかもしれません

 

 

 

 

 

政策系学部なのにゼミで哲学してる件①

友達「ねぇ、総合政策学部って何するの?」

私「行政、環境、国際情勢とか、社会のことを色々学べるよー。総合系だから広く浅くって感じ」

友「へー、じゃあ、ゼミの内容=専門分野って感じ?ゼミでは何やってるの?」

私「哲学と倫理学やってるよー」

友「...( ゚д゚)!?」

 

...みたいな会話を、きっと私は軽く100回はしてきたと思う(誇張ではない)。

 

一言言っておくが、私も別に哲学がやりたくて総政に入ったわけじゃない。大学受験期に数学好きになったし、ゼミでは環境経済学とかカッコいいこと学んで、デキるキャリアウーマンになるはずだった。(笑)

でも、大学に入って、今所属してるゼミの先生の授業受けて、人生設計ちょー狂った。授業にフォーリンラブしてしまった。

 

どうも、政策と哲学って結びつけにくい。

し、哲学って机上の空論だし金にならない。それよりも就職に有利なことやればいいのに。みたいなことをたまに言われる。...ごもっともにもほどがある。笑

 

それでも、私は哲学や倫理学が好きだ。

現代に応用できる分野もたくさんあるし、社会にとって絶対的に必要なものだと感じる。

 

実際、本屋のビジネス書のコーナーに行くと、

経営や経済に関する本と同じくらい、哲学の本がズラーっと並んでる。

 

多分、アドラーの「嫌われる勇気」がその火付け役だと思う。(大ベストセラーの本なので内容の説明省くけど)アドラーのおかげで、常に人と比べられて生きてるビジネスマン達の心が緩んだんじゃないかなぁ。

それから、アドラー以外にも、哲学に関する本がじわじわ増えてきた。

 

最近では、コンビニにも哲学に関する冊子が置いてあったりする。「先人に学ぶ!いまを生きるための哲学」みたいな(適当)。超ありがち。

 

哲学をすることで、今持っている価値観から、一歩外に出ることができる。気持ちがふわっと軽くなる。哲学は、宗教みたいに綺麗事を言わないから好き。(宗教好きな人ごめんなさい)

 

そんな、現代人から結構需要があるはずの「哲学」をする、大学の「哲学科」が将来的に消えるらしい。

 

というのは、日本が少子化傾向にあり、大学運営のコスト削減のために学部を減らそう!ってなると真っ先に「哲学科」に矛先が向くから。

 

資本主義社会で、学生に少しでも金に繋がる勉強させたいのは分かるけど、

ちょっとそれはないんじゃないか。哲学、まぁまぁ需要あるやん。

 

豊かさって何だろう。幸せって何だろう。

時代の流れに、好きなものまで奪われないように。自分の思考回路まで支配されないように。ちゃんと賢くなりたいなぁと思う今日この頃です。少しずつ。

 

 

”Please introduce yourself.”

【最近の話】

 

”Please introduce yourself.(=自己紹介して)”

と突然言われたら、あなたはどう答えますか?

 

私なら、「愛知県の大学に通ってる、政策系学部の3年生。みんなにO型っぽいねと言われるけどA型。双子座。」

...みたいな感じで答えます。言わば、考えうる限りの肩書きを並べていくイメージでしょうか。

 

これに対して、一つ前のブログタイトルの

“Who are you?(=あなたって誰?)”

って聞かれた場合、あなたならどうしますか?

 

私は、実際にこの質問を受けた時、とっさの回答が思いつきませんでした。

 

私「うーん...女子。Instagramとか好き。画像加工するのとか好き。普通の人。」

やばい、超しどろもどろ。笑

 

なんか色々書きましたが、

つまり何が言いたいかというと、

"Please introduce yourself."も、"Who are you?"も意味的には殆ど同じことなのに、

後者では、〈肩書き〉を持ち出すことに違和感が出て、ハッとしました。

 

肩書きは、必ずしも自分のアイデンティティに直結しない。し、肩書きに頼りすぎると、それが通じない時にパニックになる。

 

(この話をブログネタにした理由のうちの一つは、自分の学部(=肩書き)が、好きな勉強と合わなくなってきたから。興味あることと、そうじゃないことの差が激しくなってきた。わたし総合政策学部名乗れない。)

 

2、3年後には、"Who are you?"に自信を持って答えられる人になってたいな。